遥かなる わがヨークシャー (Faraway My Yorkshire)

リーズ周辺 (Leeds' Environs)

27 リップリー・カースル [リップリー] (Ripley Castle, Ripley)

 イギリスの建築でカントリー・ハウスと並ぶものに、中世から近世にかけての領主の館であったマナー・ハウスがある
 ハロゲイトからA61号線を北へ6kmほど行ったところに、リップリー・カースルというマナー・ハウスがある。700年間以上つづいているインギルビー家が、いまも住居として使っているところである。城壁でかこまれ、屋根には狭間胸壁がめぐらされており、まさに中世の城のような雰囲気をもった館である。わたしがもっとも気に入っているマナー・ハウスの一つでもある。
 このマナー・ハウスでもっとも古い部分は、1450年に6代当主サー・ジョン・インギルビーによって建てられたというゲイトハウス(門楼)である。それについで古い部分が、館の南西部の「オールド・タワー」と呼ばれている一角である。この部分は、9代当主サー・ウィリアムによって1550年代に建てられている。
 そのほかの部分は、1780年代に18代当主サー・ジョンによって、それまであった古いマナー・ハウスをとりこわして改築されている。
 そのときの設計をしたのは、ジョン・カー・オヴ・ヨークである。彼は古典様式の建築家であったが、改築した部分の屋上にも狭間胸壁をめぐらすなどして、巧みにオールド・タワーと調和するようにした。その結果、改築後もマナー・ハウス全体が中世の雰囲気をもつようになったのである。
 この水彩画で、旗竿の立っている一角が、オールド・タワーである。

 インギルビー家は、多くのナイト爵や準男爵を輩出してきた地方領主の家柄である。先祖は、ウィリアム1世とともにフランスからやってきたノルマン人につながるというが、貴族や騎士階級ではなかったようだ。この家が興隆するときの、おもしろいエピソードが伝えられている。
 エドワード3世(在位1327-77)時代の1355年のことである。王がこの地方で狩をしていたことがあった。王は、森のなかで従者たちと離ればなれになっていたが、大きなイノシシを見つけたので、これを追い、馬上から槍で仕留めようとした。ところがイノシシに逆襲され、馬がおびえて立ち上がったとき、王は振り落とされてしまった。そこにイノシシが突進してきた。
 そのとき、異変に気がついて駆けつけ、王を救ったのがトマス・インギルビーであった。
 彼はその功績で、ナイト爵をあたえられた。また、インギルビー家の紋章の上に、イノシシの頭の絵柄がつくようになった。そしてトマスの代から、この家の歴史がはじまり、それが記録されるようになったという。
 古い家柄だけあってインギルビー家は、ばら戦争や恩寵の巡礼の反乱、火薬陰謀事件、ピューリタン革命、名誉革命など、イギリスの歴史のさまざまな出来事にもかかわりがあったという興味深い家である。
 オールド・タワーの2階には、1603年にジェイムズ1世がロンドンでの戴冠式のために向かう途中で宿泊した部屋がある。12代当主のサー・ウィリアム・インギルビーは、そのとき、その部屋を国王の寝室にふさわしいように急ぎ改造し、天井には豪華な漆喰の装飾をほどこしたという。
 しかしインギルビー家は、2年後には、その国王を暗殺しようとした火薬陰謀事件に、実行者を陰で支えるなどして深くかかわっていたのである。

 リップリー・カースルには、ピューリタン革命時代の話として、つぎのような興味深いものがある。
 1644年7月2日に、ここから東へ19kmほど行ったところで「マーストン・ムーアの戦い」があった。14代当主のサー・ウィリアム・インギルビーは、女騎兵ジェインとして名を馳せていた妹とともに、国王軍にくわわっていた。すでに記したように、国王軍はこの戦いに敗れ、総崩れとなって敗走した。
 議会軍の副司令官だったオリヴァー・クロムウェルは、捜索隊を率いて敗残兵を追い、リップリー・カースルの近くまでやってきた。そして夜になったので、一夜の宿泊場所の提供をもとめて押しかけてきた。しかし彼のほんとうの狙いは、国王軍にくわわっていた当主のサー・ウィリアムを捕らえることだった。
 そのとき、急ぎ戦場からもどったジェインは、2丁の拳銃をたずさえて応対にでると、「兄はここにはいない。反逆者に提供する部屋はない」と拒んだという。しかしクロムウェルは、強引に押し入ってきた。
 ふたりは、オールド・タワーの1階の部屋の長いテーブルの両はしに、対峙してすわった。そしてジェインは、クロムウェルが椅子にすわったままで寝ているあいだ、腰に銃をかまえ、そのまま一睡もせずに夜を明かしたという。
 翌朝クロムウェルは、見せしめに捕虜の数名を銃殺するように命じると、ここを立ち去っていった。そのときのマスケット銃の弾痕が、門楼とその向かい側の教会の壁に、いまも残っている。
 サー・ウィリアムはその後捕らえられて多額の罰金を科せられたが、息子が革命に中立を保っていたこともあって、インギルビー家は存続できたという。
 オールド・タワーの最上階の3階は、創建時の造りをそのままに残していて、「ナイトの部屋」と呼ばれている。1964年に、この部屋で「隠し部屋」が発見された。16世紀後半の宗教改革の嵐が吹き荒れていた時代に、禁止されていたカトリックの僧や、当局から追われている信者をかくまうために作られた、「僧侶の穴」と呼ばれた隠し部屋である。部屋というよりも、まさに穴のような空間である。
 インギルビー家は代々熱心なカトリックで、ヘンリー8世の宗教改革の時代には、密かにカトリックの僧になったために反逆罪で処刑された者もだしている。
 ところでマーストン・ムーアの戦いのあと、当主のサー・ウィリアムは、戦場のハリエニシダの茂みのなかに隠れていたことになっていた。ところがじつは、彼はジェインとともに館に逃げ帰り、隠し部屋に隠れていた――というのである。
「ナイトの部屋」には、分厚い壁のなかにつくられたらせん状の「隠し階段」もある。非常時に、外へ脱出するためのものである。
 リーップリー・カースルの「隠し部屋」や「隠し階段」は、激動の時代を生き抜いてきた地方領主の歴史を物語っていて、興味深いものがある。

 館の北側には、レンガ塀でかこまれた現代的なイングリッシュ・ガーデンと、ランスロット・ブラウンの設計による広大な風景式庭園が広がっている。

English country houses are wonderful and I enjoyed every opportunity I had.
I also found the smaller manor houses are equally as wonderful as country houses. Many of them are preserved as historic architecture and have benn changed into museums. Some houses are still used as residences. The pleasure of visiting manor houses for me was to look around the archiutecture of the houses and to know about the history of those houses and the episodes of people who once lived there.
Ripley Castle, the residence of the Ingilby family, being situated about 4 miles to the north of Harrogate, is one of my favorite manor houses.
This manor house, whose roofs are surrounded by parapets, has the atmosphere of medival castle. The Gate House, the oldest part of this manor house, was built in 1450. The second oldest one is the Old Tower, the southwest corner of the house, built in the 1550s. Other parts were rebuilt by the design of John Carr of York in the 1780s. Although he was an architect of the Palladian style, he was skilful enough to match them with the medival atmosphere of the Old Tower.
Reading the leaflet of Ripley Castle. I got very interested in this manor house and the Ingilby family who were associated with many historical events such as the Wars of the Roses, the Pilgrimage of the Grace, the Reformation, the Gunpowder Plot, the Civil War and the Glorious Revolution.
It is said that James I spent a night at the Tower Room, the first floor of the Old Tower, on the 16th of April in 1603 on the way from Edinburgh to London for his Coronation
But to my surprise, the Ingilby family, who flattered the monarch by refurbishing the ceiling of the room with magnificent plasterwork, took part in the Gunpowder Plot two years later.
Ripley Castle was also connected with another interesting epispde during the Civil War.
Sir William Ingilby and his sister, called Trooper Jane, fought for the monarch at the Battle of Marston Moor on the 2nd of July in 1644. The Royalists, commanded by Prince Rupert, were completely defeated by the Allied army of the Parliamentarians and the Scots.
Pursuing the fleeing Royalists to northwards, Olibver Cromwell came to Ripley Castle demanding admittance for an overnight stay. But his real aim was to arrest Sir William hiding somewhere in the castle.
Jane refused Cromwell's admittance, but eventuary he made a forcible admittance. Cromwell allowed her to keep her possesion of a pair of pistols. Slumping in armchairs at either side of a large table in the room, now the Library on the ground floor, two spent the night. Jane sat up all night with her pistols on her lap.
Next morning, Cromwell left the castle, having commanded his troops to shoot some of their Royalists' prisoners as a warning
The story says that at this time Sir William was hiding amongst the furze bushes on the battle field.
The Knight's Chamber, the top floor of the Tower, has a secret hiding place, what is called a "priest's hole". To my great surprise, it was not until 1964 that the secret hiding place was found. It is said that Sir William had hidden himself in it when Cromwell came to the castle to pursue him
Furthermore, a secret stone spiral staircase leading to the outside of the house was also found.
The secret hiding place and the secret staircase, which only limited family members knew, were forgotten for a long time. They evoke images of an age of convulsions.
The manor houses are treasure houses teaching me about English history.
The garden of Ripley Castle was landscaped by Lancelot Brown.


リップリーの村とマーケット・クロス(Ripley and its market cross)


*マナー・ハウス (manor house)  中世や近世に、貴族や騎士階級、大地主などが所有していたマナー(荘園)に建てた館。いまも住居として使われているところもあるが、多くのところが中世や近世の建築様式をいまに伝える歴史的建造物として保存されて、資料館などになっている。よく、中世から近世にかけての家具や調度品、武器や甲冑などが展示されている。マナー・ハウスの基本的な間取りは、グレート・ホール(大広間)がある中央棟に領主の部屋などがある翼棟がついたL形やコ形、H形になっている。マナー・ハウスは、建築様式もさることながら、そこに住んでいた人物についてのエピソードや歴史的な出来事とのかかわりなどを伝える、興味深いところである。

*ばら戦争 (the Wars of the Roses)  1455年から1485年までの30年間、ランカスター公爵家とヨーク公爵家とのあいだに断続的につづいた、イングランドの王権をめぐる内乱。ランカスター家が赤バラ、ヨーク家が白バラを旗印に戦ったことから、19世紀の作家サー・ウォルター・スコット(Sir Walter Scott, 1771-1832)がこの内乱を「ばら戦争」と呼び、それ以降、この言い方が定着したとされる。

*恩寵の巡礼→第4節の脚注

*火薬陰謀事件 (the Gunpowder Plot)  1605年11月5日の議会の開会式に出席するジェイムズ1世を、議場の地下に仕掛けた火薬で爆殺しようとした事件。この日の未明に発覚し、未遂に終わった。この事件は、当時禁止されていたカトリックにたいして寛容策をとると約束しながらそれを守らなかった国王にたいして、ロバート・ケイツビーを首謀者とする13人のカトリックの過激派が企てたもの。メンバーのなかに火薬を扱う専門家のガイ・フォークスがいたことから、その後彼の名前をとって、11月5日をガイ・フォークスの日、その夜をガイ・フォークスの夜と呼び、彼の人形を燃やしたり花火をしたりして遊ぶようになった。ガイ・フォークスは紳士階級の息子としてヨーク大聖堂の近くで生まれ、9歳のときまでセント・ピータース・スクールに通っていた。彼が生まれたところは、いまは「ヤングズ・ホテル」となっている。

*名誉革命 (the Glorious Revolution)  1688年、カトリックの復活を目指していたジェイムズ2世(在位1685-88)に皇太子が生まれたことをきっかけに、カトリックの王による統治がつづくことを恐れた議会と国教会の聖職者が起こした反国王運動。ジェイムズ2世は武力でもって反対派を押さえ込もうとしたが、議会がジェイムズ2世の甥で娘婿でもあるオランダ総督オレンジ公ウィリアムに援軍を要請すると、国王派内に寝返る者が続出し、ジェイムズ2世は戦わずしてこの年のクリスマスの日にフランスへ亡命していった。オレンジ公はウィリアム3世(在位1689-1702)として、ジェイムズの娘メアリー(在位1689-94)とともに共同統治の王となった。血を流すことなく目的が達成されたことから、誇りを込めて「名誉革命」と呼ばれている。


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