遙かなる わがヨークシャー (Faraway My Yorkshire)

リーズ周辺 (Leeds' Environs)

34 ボーリング・ホール [ブラッドフォード] (Bolling Hall, Bradford)

 リーズの西どなりの都市ブラッドフォードに、ボーリング・ホールというマナー・ハウスがある。15、6世紀に建てられ、17、8世紀に一部が改造されてきたところである。
 このマナー・ハウスには、中世の面影を残す15世紀に建てられた塔や、16世紀の初期テューダー様式の部屋などが残されている。いまは市の博物館になっていて、エリザベス朝の豪華な装飾がほどこされた家具や調度品などが展示されている。
 この水彩画で、左側の部分が15世紀に建てられた塔である。中央のベイ・ウィンドウ(張り出し窓)のある部分と、その右側の大きな窓――マリオンとトランサムの窓――の部分が、初期テューダー様式の残されている部分になる。
 ここのマナー(荘園)の歴史も古く、1086年に作成されたドゥームズデイ・ブックにも記載されているという。
 ヨークシャー地方は、イングランドのエドワード2世(在位1307-27)が1314年6月24日の「バノックバーンの戦い」でスコットランドに敗れてからは、たびたびスコットランド人に襲撃され、掠奪行為をうけるようになった。
 このマナー・ハウスの起源は、そうした襲撃にそなえて、ブラッドフォード地区の有力者ボーリング家が、14世紀に建てた砦にあるとされている。
 このマナー・ハウスで見学者の興味をひくものに、2階の「幽霊の間」がある。ピューリタン革命の時代に、そこにあらわれた幽霊がブラッドフォードの町を国王軍の総攻撃から救った――という、次のような話が伝えられている。
 ピューリタン革命の時代、ブラッドフォードの町は議会を支持し、住人は町に立てこもって国王軍に抵抗していた。
 1643年のことである。当時のボーリング・ホールの当主リチャード・テンペストは国王派で、町がよく見渡せるボーリング・ホールを、国王軍の司令官のひとりニューカースル伯ウィリアム・キャヴェンディッシュに作戦本部として提供していた。
 伯はブラッドフォードに降伏を迫っていたが、町はなかなかこれに応じようとしなかった。それに業を煮やした伯は、ある日部下に、「明朝ブラッドフォードに総攻撃をかけ、女・子供も含めて皆殺しにしてしまえと」と命じた。
 その夜のことである。就寝中だった伯は、夜なかに、だれかに夜具を引き剥がされたような気がして目をさました。そしてベッドのわきを見ると、そこには女の幽霊が立っていた。その幽霊は、「哀れブラッドフォードよ!」と手を合わせ、かたく握り締めては泣き叫ぶのだった。そのときの女のあまりにも恐ろしい形相に、伯は夜が明けると早々に、総攻撃の命令を撤回した。
 こうしてブラッドフォードの町は救われ、それ以来、伯の泊まっていた部屋は、「幽霊の間」と呼ばれるようになったという。
 マナー・ハウスには、幽霊話や不思議な話がつきものである。そうした話に接することも、マナー・ハウスめぐりの楽しみである。

 ボーリング・ホールもそうであるが、マナー・ハウスには、よく古い家具が展示されている。そのなかでも16、7世紀のエリザベス朝様式やジャコビアン様式の羽目板張りの内装や、四柱式寝台、チェストなどの家具には、目を見張るものがある。オーク材でできたこれらにほどこされた豪華絢爛たる装飾彫刻は、イギリスの装飾芸術の最高峰と言えるものである。


エリザベス朝様式の四柱式寝台 (Elizabethan fourposter))

 ブラッドフォードの近くには、小さな博物館になっているマナー・ハウスがいくつかある。
 ブラッドフォードの中心から南西におよそ10kmのところ、ハリファックスの東部には、シブデン・ホールがある。15世紀初期に建てられた、美しいハーフ・ティンバード造りのマナー・ハウスである。
 ブラッドフォードの南東8kmのところのゴマザルの近くには、オークウェル・ホールがある。1583年までさかのぼる、テューダー様式の石造りの館である。シャーロット・ブロンテは、この館を小説『シャーリー』のなかで「フィールドヘッドの館」として描いている。
 またオールウェル・ホールの西1・6kmのところには、レッド・ハウスがある。1660年に赤レンガ造りで建てられたのでそう名付けられた館であるが、ここもシャーロットとゆかりのあるところである。彼女がロウ・ヘッドの学校へかよっていたときの友人の家で、彼女は1830年代に、週末をよくここで過ごしたという。この館は、前出の小説のなかで、「ブライアーメインズの館」として登場してくる。

Another sturdy manor house, Boling Hall, lies in Bradford, on the west of Leeds.
The origin of this manor house is a fort built by the Bollings to prepare for the raid from the Scots in the 14th century. The present manor house, now a museum, was built in the 15th and 16th century and remodelled partly in the 17th and 18th century.
This house also has a tale of a ghost and there is "the Ghost Room". The female ghost of this manor house saved the town of Bradford from an all-out attack of the Royalists during the Civil War.
The tale says as follows.
During the Civil War, Richard Tempest, a Royalist and the owner of Bolling Hall, offered the hall to William Cavendish, Earl of Newcastle as his headquarters for the siege of Bradford in 1643. The hall had a good view of the town and an appropriate place to command the siege.
Brad ford, a small town, a little more than a village, did not readily surrender, supporting the Parliaments obstinately.
One day getting angry, the Earl of Newcastle ordered his troops to raid the town and to kill everyone including women and children the next day.
At the very night, the Earl was woken up by a female ghost stripping off the bedclothes. With her terrible look, she wailed "Pity poor Bradford", wringing her hands.The Earl, being so frightened, withdrew the order at daybresk. The room where the Earl stayed has been called "the Ghost Room".

I was able to see a lot of old furniture of the 16th and the 17th century at Bolling Hall and at other manor houses. The Elizabethan and Jacobean panelling and furniture such as fourposters and chests made of oak attracted me very much. The dignified decoration and furniture of these interiours are the zenith of English decoration art, I think.

There are several small museums which used to be manor houses near Bradford. Shibden Hall, lying in the east of Halifax, 6 miles on the southwest of Bradford, is a beautiful half-timbered manor house built in the early 15th century.
Oakwell hall, near Gomersal, 5 miles on the southeast of Bradford, is a Tudor srtone house dating back to 1583. It is said Charlotte Bronte described this house as "Fieldhead"in her novel "Shirley".
Red House in Gomersal, a mile to the west of Oakwell Hall, which was built in 1660 with red bricks, hence its name, is associated with Charlotte, too. She made friends with a daughter of Joshua Tayloy, the owner of the house, when she went to school at Roe Head, and she had spent weekends often at Red House in the 1830s. She also described this house as "Brianmains" in "Shirley".


*ベイ・ウィンドウ (bay window)  15、6世紀に、マナー・ハウスの採光のために生まれた出窓のこと。張り出し窓ともいう。出窓といっても建物の基礎の部分から台形や四角形の形で大きく張り出していて、窓で囲まれた小部屋のようになっている。円弧系に張り出したものは、ボウ・ウィンドウ(bow window、弓型張り出し窓)とも呼ばれる。出窓でも壁から突き出ている形のものは、オーリアル・ウィンドウ(oriel window)と呼ばれる。

*マリオンとトランサムの窓 (mullion and transom window)  マリオン(太い縦の仕切り)とトランサム(太い横の仕切り)で区切られた四角い大きな窓のこと。菱形などをしたガラス板を鉛の帯でつないだものが直接はめ込まれていた。そのため開閉はできなかった。15世紀から17世紀の初め頃までよく用いられていたが、その後は、上げ下げして開閉のできるサッシ・ウィンドウ(sash window)にとって代わられるようになった。


*ドゥームズデイ・ブック (the Domesday Book)  ウィリアム1世が1085年に実施した国勢調査の結果をまとめた本。彼はイングランド全土をマナー(荘園)単位で、土地の面積、所有者、人口、家畜の数、生活状況などを調査し、その結果を1086年に2巻の本にまとめた。彼はこれを課税の際の資料とし、さらに封建領主の経済力や軍事力を計るのに用いた。世界で最初の国勢調査とされる。    


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