遥かなる わがヨークシャー (Faraway My Yorkshire)
ヨークシャー・デイルズ (The Yorkshire Dales)
65 スキプトン城 [エアデイル] (Skipton Castle, Airedale)
エアデイルは、大きなデイルとしては、もっとも南側にある。
リーズ市内を流れるエア川をさかのぼり、北西に37kmほど行ったところに、そのエアデイル上流への入口の町スキプトンがある。中世から市場町として栄えてきたところである。
この町の中心部の高台の上、リーズ・リヴァプール運河に注いでいる渓流のエラー・ベックを背にして、どっしりと構えている城がある。この地方の有力者であったクリフォード家が、300年間以上本拠地としていたスキプトン城である。
この城で来訪者を最初に出迎えてくれるのは、両側に巨大で圧倒的な迫力のある円筒形の塔をもったゲイトハウス(門楼)である。その屋上の胸壁には、クリフォード家の未来を見据えた家訓「Desormais」(これからだ)が、大きく透かし彫りにされている。
ゲイトハウスをくぐると、その先には、同じような円筒形の巨大な塔をいくつももった城の本体がある。このスキプトン城は、屋根もしっかりとしていて、イングランドでもっとも完全な形で残されている中世の城の一つとされている。
ここに最初の城が築かれたのは、ノルマン征服時代の1090年ごろのことで、ノルマン人貴族のロバート・ドゥ・ロミリーによるとされている。
その城は、「土塁と外庭の城」というノルマン式のものであったが、それを含めると、スキプトン城は900年以上の歴史をもつことになる。
いまある石造りの城の建設がはじまったのは1311年のことで、初代クリフォード卿ロバート・クリフォードによってである。そして14世紀に、城の大部分ができていたとされる。
城の東側の居住区――現在そこは個人の住居として使われているので非公開になっている――は、1535年ごろに、初代カンバーランド伯ヘンリー・クリフォードが、ヘンリー8世の姪エレナー・ブランドンを息子の妻として迎え入れるために建てた部分である。
初代カンバーランド伯は、修道院解散後のボルトン修道院の土地を買いとり、スキプトンから北西部のカンブリア州の一部に至るまでの広大な土地を所有するようになったという。
この城でおもしろいものを発見した。グレート・ホール(大広間)の北側の小部屋だったと思うが、そこの外側の壁ぎわのところに、備えつけのベンチのようなものがあった。そしてその座るところに、直径が10cmか15cmくらいの穴があいていた。
それは、トイレであった。高貴な方々もここに座ったのだろうかと、余計なことを想像してしまう。
穴をのぞくと、はるか下、約70mのところには、渓流のエラー・ベックが流れていた。なんだか、尻がスースーするような気がした。
スキプトン城は2度、歴史の大きな動乱に巻き込まれたことがあった。
1度目は、1536年から翌37年にかけて起こった大規模な反乱「恩寵の巡礼」のときである。クリフォード家は国王ヘンリー8世側だったので、城は反乱を支持する勢力に包囲されたのだ。しかしこのときは、それ以上の大きな混乱もなく、なんとかやり過ごすjことができた。
2度目は、ピューリタン革命のときである。スキプトン城は国王派の強力な拠点の一つであった。そのため、1643年から45年までの3年間、議会軍に包囲され、砲撃を受けたこともあった。このとき、14世紀に築かれたゲイトハウスの上部が破壊された。そのためゲイトハウスは、議会派の勝利で大きな戦闘がおさまった1649年には、取り壊されてしまった。
クロムウェルが病死して革命が失敗に終わるとわかった1659年ごろ、3代カンバーランド伯の娘レディー・アン・クリフォードによって、そのゲイトハウスが再建された。そして「コンデュイット・コートヤード(泉の中庭)」よばれる中庭に、城の修復を記念してイチイの木が植えられた。
レディー・アンは、1590年にこの城で生まれた。彼女は気が強くて頑固だったというが、クリフォード家最後の城主として、ピューリタン革命で破壊された城や、スキプトンの町の教会の修復に力をつくした女性だった。
1676年にレディー・アンが他界すると、スキプトン城は歴史の表舞台から去っていった。それでも樹齢が350年以上と推定されるイチイの木は、いまもじっと城を見守っている。
クリフォード家は、この地方で強大な力をもっていた家で、この地方の歴史にもよく出てくる名前である。ヨークのクリフォーズ塔の名前は、そこで1326年に処刑された2代クリフォード卿ロジャー・クリフォードに由来している。
ばら戦争の時代、クリフォード家はランカスター家側についていた。そこのところが、リチャード3世のファンであるわたしも含めて、ヨーキストにとっては気になる存在である。
I would like to walk around Airedale in the last of the pilgrimage to the
dales.
Skipton, a market town flourishing from the Middle Ages, is a gateway to
Upper Airedale.
Backed by the stream of Eller Beck and standing on the eminence at the
head of town is Skipton Castle, which had been the home of the powerful
Clifford family over 300 years.
When I visited the castle, at first, I was surprised at being welcomed
by the magnificent gatehouse having massive round towers on both sides.
On the south and the north sides of the parapet of the gatehouse, large
stone letters were carved. They were the motto of the family spelling "Desormais"(henceforth).
When I passed through the gatehouse, massive round towers of the castle
caught my eyes.
Skipton Castle is said to be the one of the most complete and superb examples
of a fully roofed medieval castle in England.
It was about 1090 when the first castle, a motte and bailey castle, was
erected by Robert de Romilly, the Norman. So the castle has a history over
900 years old.
The erection of the stone castle which we can see today was started from
about 1311 by Robert Clifford, 1st Lord Clifford.
The east portion of the castle, now a private residence, was built by Henry Clifford, 1st Earl of Cumberland in about 1535 for his son's wife Eleanor Brandon, the niece of Henry VIII.
After the Dissolution of Monasteries, purchasing Bolton Abbey estate, the
Earl owned the vast land in Airedale and Wharfedale.
I found an interesting thing which I cannot forget at this castle. It was a bench with a hole in the small room next to the great hall (if my memory is correct).
That was a garderobe; a privy. I imagened unnecessarily that the lords
and ladies had sat here. Peeping through the hole of it, I could see the
stream of Eller Beck flowing 200 feet under it. I felt my bottom chilled.
Skipton Castle has suffered sieges twice in its history.
First one was during the Pilgrimage of the Grace. But this time, the castle could easily shrug off the siege by the supporters of the rebellion.
Second one was during the Civil War. At that time, Skipton Castle was one
of the strongholds of the Royalists and was in siege by the Parliamentarian
troops from 1643 to 1645 and surrendered consequently. The gatehouse was
ruined in the siege and dismantled in 1649.
Lady Anne Clifford, the last Clifford to own Skipton Castle, rebuilt the
gatehouse in about 1659. It is said that she planted a yew tree in the
Conduit Courtyard to commemorate the repair of the castle.
Lady Anne, appearing often in the history of Yorkshire as a powerful woman,
made efforts to restore the castle and the parish church which was also
damaged in the Civil War.
When Lady Anne passed away in 1676, Skipton Castle also left the main stage
of the history of England.
The yew tree, estimated to be over 350 years old, is still looking after
the castle.
By the way, the Clifford family was Lancastrian during the Wars of Roses.
Therefore Yorkists, including me as a fan of Richard III, have to pay attentions
to them.